宝山歴史行脚 2015年6月24日

宝山 歴史行脚 Vol.9 大正の焼酎危機を救った黒麹

シリーズ第9回目の今日は、明治から大正時代の焼酎造りにフォーカスしてみたいと思います!新時代の幕開けと共に、日本には近代化の波が押し寄せ、焼酎造りにも新式焼酎(甲類)が台頭し、製造量が爆発的に増えました。そんな中、大正3年に焼酎業界を揺るがす大事件が起こります。その年の暖冬異変により、全国的に清酒のもろみが腐るという事態が各所で起こり、その措置として、蒸留した粕取焼酎が多く造られたために、焼酎価格が一気に暴落してしまったのです。(>_<) そんな世相の向かい風を克服するため、焼酎を造る設備や製造方法の改良が始まりました。その一つは麹菌がそれまでの黄麹から泡盛で使われていた黒麹に変わったことです。黄麹はもともと清酒造りに使われるもので、でんぷんの糖化力にはすぐれているものの、もろみの腐敗防止に役立つクエン酸を作りません。そのため、もろみをしぼってそのまま飲む清酒には適していても、南国の温かい気候ではもろみ内での雑菌の繁殖が早く、結果酒質が悪くなる。もしくはもろみが腐敗し焼酎そのものが出来上がらないといったことが起きていました。そこで登場したのが黒麹です!黒麹は発酵の過程で多くのクエン酸を作るため、雑菌の繁殖を抑え、もろみの酸敗を防いでくれました。当然クエン酸を作るということはもろみがとても酸っぱくなりますので絞って仕上げる清酒にはあまり向いていませんが、蒸留酒である焼酎には酸味の影響がないので、まさに最適だったんです。黒麹を使うことで焼酎の製造も安定し、生産量も徐々に増えて行きました。(*^o^*) 焼酎危機を救った黒麹は、宝山の仕込みにとっても重要な素材の一つです。もちろん近年ではもろみの冷却装置の普及もあり、発酵技術も進化したため鹿児島の温かい気候においても黄麹で造ることができます。そのため、昔に比べさまざまな様々な味わいの焼酎造りにチャレンジできる土壌が整ったとも言えます。私達は先人たちの知恵や工夫に感謝しながら新しいおいしさを発信していきたいと思います!

 

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