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宝山歴史行脚 2015年6月3日

宝山 歴史行脚 Vol.6 「宝山検校と吹上の大蛇伝説」

第6回目となる今日は、「宝山」の名前の由来にもなった、「宝山検校(ほうざんけんぎょう)」について触れてみたいと思います。「宝山検校」は、もともと近江逢坂山(滋賀県大津市)の正法山妙音寺常楽院の第19代住職でしたが、鎌倉時代の初め、建久7年(1196年)に島津忠久(島津家の祖)が源頼朝に三州(薩摩・大隅・日向)の守護職を命じられて薩摩国に入る際、島津家の祈祷僧としてやってきました。(o・∀・)b その後間もなく島津忠久公によって日置郡田尻(現在の日置市吹上町中島)に中島常楽院を建立し、宝山検校を開祖とします。その後、宝山検校は島津家の威徳を広めるために尽力し、また常楽院近辺の人々の心の拠り所として慕われてきました。そんな宝山検校にこんな伝説が残っています。「その昔、宝山検校を開祖とする中島常楽院は広大な湖のほとりにあり、この湖には悪い大蛇が住みつき人々に悪さばかりしておりました。そこで宝山検校は、この大蛇を退治すべく日々の祈祷を行っておりました。ある夜のこと…、一天にわかにかき曇り、大地を叩き付ける雷雨と共に竜巻がおこり、湖から大蛇が現れました。宝山検校は吉事の兆しとされる琵琶を弾き、懸命に祈祷を続けます。するとその偉大な法力によって、大蛇は大龍となって黒雲の中を泳ぐようにしながら天昇していきました。天空も白み始め、夜が明けると湖の水はなくなり、やがて一帯はとてもよい水田となって、人々に富をもたらしました」「吉兆宝山」「白天宝山」「富乃宝山」など宝山シリーズの名前は、この吹上に古くから伝わる大蛇伝説に由来しています。(*´∪`*)私たちにとって、災いから農作物を守ってくれる存在として、「宝山検校」への感謝の思いをこれからも大切にして行きます。

 

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