宝山私流

「宝山」をご愛飲いただいている、文化人の皆さまからの応援メッセージです。
「宝山私流(わたしりゅう)」として、シリーズでご紹介しております。

宝山私流 Vol.4 2014年7月16日
薩摩焼・苗代川焼窯元
荒木陶窯15代代表

荒木 秀樹 様

荒木 秀樹さんのご紹介

 

<プロフィール>

  • ・荒木 秀樹(あらき ひでき)
  • ・薩摩焼・苗代川焼窯元 荒木陶窯15代代表
  • ・日本工芸会正会員、日本陶芸美術協会会員、日本伝統工芸士会員、鹿児島県美術協会会員、鹿児島県立松陽高等学校美術科非常勤講師、鹿児島県薩摩焼共同組合専務理事、苗代川焼伝統保存会会員

荒木さんの思いとこだわり、「宝山」との出会い

「薩摩焼」と荒木陶窯さんについて教えてください

薩摩焼の歴史は400年以上。1500年代の終わりごろに薩摩藩17代藩主の島津義弘が朝鮮半島から陶工を連れ帰った時から始まります。陶工達が藩内各地に窯を開き、その技術を薩摩の土地に広めて、後にそれらは苗代川系、竪野系、龍門司系、西餅田系、磁器系の平佐焼の5系統に分けられました。これら全てを薩摩焼と呼んでいますが、現在も残るのは僕たちが継承している「苗代川焼」と、「龍門司焼」、「竪野焼」の3系統です。「苗代川焼」は、「白もん」「黒もん」と呼ばれる薩摩焼の生地を主に焼き、磁器のような繊細さと、豪華で精緻な装飾は、永く多くの人々を魅了し続けています。「白もん」に対して「黒もん」と呼ばれる黒薩摩ですが、黒もんは鉄分が多い土を高温で焼き締めるため、素朴で頑丈な仕上がりが特徴です。荒木陶窯の歴史は薩摩焼と共にあり、400年前に遡ります。朝鮮半島から渡来してきた「朴平意(ぱくへいい)」が、初代の窯元。そこから陶芸家を継いだ者もいれば、政治家(※終戦時の日本外務大臣である東郷茂徳氏もその一人)者など、色んな人がいました。

荒木陶窯の玄関口

荒木陶窯の作品展示スペース

父上である荒木幹二郎氏の師事について

今年85歳になる父が陶芸家を目指したのは14歳の時だから、キャリアは70年に及びます。改めて数えてみると凄いですね。(笑) 父は心から陶芸を愛し、週末もほとんど休まずに陶芸と向き合っています。その父の陶芸家としての実力は、大学で学んだ4年間と、研究室での2年間で、深く認識することができました。「父は素晴らしいモノを造っている、薩摩の土地ですごいモノ造りをやっている」と。僕は東京の大学で芸術を学びましたが、芸術を学ぶ前には、芸術家・陶芸家というものに対する考えとして、フィールドを狭くすることはマイナスなイメージがあり、仕事の場を東京から鹿児島に移すことに抵抗がありました。ですが、東京での6年間で、この父に師事できることは、芸術家・陶芸家として自分に大きなプラスになると、確信が持てたのです。

荒木さんが陶芸家として大事にしていること

僕のキャリアは今年でちょうど30年。父のキャリアにはまだまだ及びませんが、芸術家・陶芸家として一番大切に考えていることは、「正直」であること。陶芸家にとっては「作品」がすべてであり、「作品」は陶芸家の思いとこだわり、積み上げた技術と経験、すべてが表現されるものです。だからこそ、自分自身が納得できる作品は、正直さが無ければできない。別の言い方をするとまったく“嘘をつけない”。その時の自分の気持ちと技術を出し尽くし、燃焼し尽くすことが大切ですし、作品を完成させる条件だと考えています。
僕の大学時代の師匠であり、近現代日本を代表する彫刻家の一人である、柳原義達(やなぎはらよしたつ)さんでさえ、1日休むと感性が鈍る、自分が納得できるまで毎日でもやる、とほとんど間を空けることなく研鑽されていました。師匠が亡くなった今でも、完成した自分の作品を見て「今、この作品を師匠に見せられるか?」という問いかけをするようにしています。

荒木さんの制作作業

荒木さんの作品