宝山私流

「宝山」をご愛飲いただいている、文化人の皆さまからの応援メッセージです。
「宝山私流(わたしりゅう)」として、シリーズでご紹介しております。

宝山私流 Vol.8 2018年10月29日
RIDGE VINYARDS
Associate Winemaker/Enologist

石窪 俊星 様

石窪 俊星さんのご紹介

 

<プロフィール>

・石窪 俊星(いしくぼ しゅんせい)

・1973年6月19日生まれ

・鹿児島県出身 45歳

西酒造で夢を語り、焼酎造りに励んだ三年間。
「RIDGE VINYARDS」との運命的な出会い。

西酒造で焼酎造りに励んだ三年間

八代高専を卒業後、焼酎の造り手を目指しましたが、当時は不況の影響でなかなか就職先が見つかりませんでした。1年間就職浪人をして、ようやく見つけたのが西酒造さんです。いま振り返るとそれはものすごい幸運でした。西陽一郎社長と有馬健晃工場長と僕の3人、西陽三会長の奥さまと社長のお姉さまにも手伝っていただきながら、相当量の仕事をしたと思います。それでも長い1日が終わると、西社長・有馬工場長と3人で未来のことについて話し込むんです。当時は日本酒が脚光を浴びていた時期だったので、焼酎業界全体に「置いて行かれた」という雰囲気が蔓延していました。そのなかでどんな焼酎造りをしていくか!?「宝山」をどんなブランドにして行くのか!?飲み手にどんな価値を提供して行くのか!?そういうことを、毎晩のように熱く語り合いながら、ひたすら焼酎造りに励みました。

「富乃宝山」がアメリカ留学のきっかけに?

西酒造でそんな濃密な時間を過ごしていた時に、西陽一郎社長が、僕の運命だけでなく西酒造の運命をも変えてしまうような、ものすごい焼酎を完成させました。それが「富乃宝山」です。「富乃宝山」を初めて飲んだ時、頭をバットでガーン!と殴られたような衝撃を受けました。本当に気を失うような感覚だったのをはっきり憶えています。それまでの芋焼酎の概念を覆すような美味さ、芋焼酎とは思えない柑橘系の果物を思わせる香りの良さ、口当たりや後味の良さ。すべてが斬新でまた上質なものでした。当時の僕には、西酒造の醸造現場で相当な役割を担っている、宝山の造り手であるという自負が少なからずありましたが、「富乃宝山」を飲んで、今までの自分の傲りが恥ずかしくなり、「こんな感動や衝撃を、飲み手に与えられる造り手になりたい!」と強く思うようになりました。それと同時に

「西社長の下で焼酎造りを続ければ、これからも画期的な焼酎に出会える」

「でもそれは、“自分の酒”ではない」

「一度、西酒造を飛び出して、外の世界でまた一から学ぶべきではないか」

 

そんな想いが頭を駆け巡っていた時、当時(1990年代)はカリフォルニアワインが伸びていて、調べたらその大きな要因になっている醸造学の権威「カリフォルニア大学デーヴィス校」で勉強できる可能性があることがわかりました。思い切って、自分の正直な気持ちを西社長に話したところ、

「お互いが頑張っていれば、いつかどこかでまた出会えるはず!会う人には必ず会う!」

「だから、がんばって来い!」

という言葉をいただきました。僕にとって兄貴の様な存在です。その固い約束をしたからこそ、本気の決意ができましたし、20年以上経った今でも頑張り続ける原動力になっています。

「富乃宝山」が誕生した西酒造の旧醸造蔵

ぶどう畑と石窪さん

「RIDGE VINYARDS」に至る経緯・運命的な出会い

西社長とそんな約束をした後、英語の猛勉強をし、幸運にも3カ月ほどでアメリカの大学に編入できました。4年間の大学生活のうち前半の2年間は一般教養の大学、そして後半の2年間を醸造学の権威「カリフォルニア大学デーヴィス校 」で学びました。色々とつまずきながらの勉強でしたが、その間もいつも西酒造の醸造現場が頭をよぎります。「今ごろは製麹の時間かな?」とか、「今ごろは詰め口をしてるかな?」とか、ずっと続けてきた習慣が目覚ましの様に僕を起こすのです。そこで送り出してもらった以上、手を抜くわけにはいかない!と、気持ちを切り替えて勉強に励み、何とか計画通りに卒業へと漕ぎつけました。卒業後「醸造」のことをもう少し幅広く勉強しようと思い、カリフォルニアで日本酒を作っていた酒造会社で製造部に在籍させて頂き、日本酒の知識や日本酒の心をどう伝えるかの勉強をしました。また、その後、大量生産に特化したワイナリーで働き、アルコール度数や酢酸度など、指定された条件のなかで、クライアントが求める味と品質のワインを設計するワイン造りも経験しました。

結婚を機にサンタクルーズ地方に移る決意をし、そのエリアで素晴らしいワインを造るワイナリーの幾つかに

「自分はこういう人間で、これまで何をしてきて、あなたのワイナリーでこんな貢献ができる」

そんなことを、ありったけの熱意を込めた手紙を書き、履歴書と共に送りました。

その中の一つがRidge Vineyards だったのです。

その時は、リッジに日本の資本が入っていることも、著名な醸造家でありリッジの醸造責任者であるポール・ドレイパー氏のことも知りませんでしたが、なんとポール本人から「ちょっと話しに来ないか?」と返事が来たのです。

初めてポールと会った日は色々な話をしましたが、それは「面接」ではありませんでした。さまざまなワインの「テイスティング」をして、それらのワインについて感想を求められたのです。「このワインはちょっと収穫時期がずれたのではないか?」「このワインはしっかりと丁寧に仕込みを行っている。」といったように、僕の感想や意見を正直に伝えました。それから、何日もかけて、さらに深いディスカッションを行い、ワイン造りに対する想いや、造り手の想いがこもったワインとはどういうものか?など、熱い話をしながら、時間をかけてお互いの理解を深めました。そしてついにポールから、「一緒にがんばってくれないか?」という言葉をもらったのです。