宝山歴史行脚 2015年6月10日

宝山 歴史行脚 Vol.7  幕末の名君・島津齊彬と芋焼酎の関係

第7回目の今日は、芋焼酎と島津斉彬の意外な関係についてお話したいと思います。幕末きっての名君と名高い薩摩藩主、島津斉彬公は、嘉永4年(1851年)に第11代薩摩藩主へ就任すると薩摩藩の富国強兵を政策に掲げ尽力し、成功した人物です。(*^_^*) 日本が本格的な混乱期に突入する前に、斉彬公はこの世を去ってしまいましたが、視野の広さと先進性は藩主クラスでは他に並ぶ者がいないと言われる程、飛び抜けていたそうです。斉彬公の富国強兵改革では、火縄銃ではなく衝撃で爆発する装置を用いた雷管銃(らいかんじゅう)を取り入れ、銃の製造も推し進めました。この銃の点火装置を作る為にエチルアルコールが必要だったのですが、当初はこの原料に米焼酎を利用しており、非常にコストが掛かることと、「兵糧でもある米で焼酎を造るのはもったいない!」という事で、斉彬公はそのころ薩摩藩全域で栽培されていた薩摩芋で焼酎を造るよう御触れを出します。さらに飲料用としても利用できる様に芋焼酎の製造法の改善を指示したことにより、薩摩(鹿児島)の地で獲れた薩摩芋を原料に、庶民が楽しめる焼酎造りが広まっていったようです。d(^ー゜) 斉彬公の発想のセンスは現代の我々にも見習うべきところがたくさんありますね!

 

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